東海ちなヤクの巣@パワプロと大相撲番付予想

スポナビブログから引越し。スポナビブログ時代は、プロ野球(東京ヤクルト)を中心に、大相撲の話もちょろっとしてました。はてなブログでは、パワプロと大相撲(番付予想)を中心に展開していきます。

自分にとって、あなたは「同郷のヒーロー」だった。 【福島#1 岩村明憲】

BC福島・岩村兼任監督 有終2安打「最後まで体で示せた」

岩村明憲が引退、来季は監督専任で第2の岩村育てる

 

今季限りで現役引退を発表していた、プロ野球独立リーグ・ルートインBCリーグ福島ホープスの岩村明憲選手兼任監督引退試合が、きのう行われました。

ニュース記事を見ていて意外に思ったのが、独立リーグに在籍する3年間で先発出場は初めてだったと言うこと。確かに岩村は福島ホープス創立と同時に選手兼任監督として入団し、2015年は10試合18打数、2016年はわずか3試合4打席。特に2015年は18打数ながら打率.556、1本塁打7打点と「格の違い」を見せていただけに、パッと見ると不審に思うかも知れません。

それでも監督として、創立1年目の2015年は後期に優勝を果たし地区チャンピオンシップに進出。2016年は前後期ともに2位につけこの年も地区チャンピオンシップに進出し、今季も通期勝率2位をマークして3年連続で地区チャンピオンシップに進出。監督として、若い選手の育成に励みながら着実に結果を残してきました。

 

 

 

そんな、岩村明憲という選手。

小学生時代の筆者にとっては、同じ愛媛県出身として「大スター」と言っていい存在でしたし、筆者がスワローズファンになった直接のきっかけの選手の一人でした。

2000年にサードのレギュラーに定着し、2001年からは「ミスタースワローズ」の象徴である「背番号1」を継承。2004年には打率3割40本をマークするなどヤクルトの主力打者として大活躍し、2007年に渡米後も活躍。20072009年に在籍したタンパベイ・デビルレイズ(現レイズ)では若いチームの中心核として、2008年のワールドシリーズ進出の原動力にもなりました。

2006年と2009年にはWBC日本代表に選出され、特に2009年は決勝でイチローの決勝打に繋がるヒットを放ち最後のホームを踏むなどこちらでも活躍を見せています。

 

しかし2009年にゲッツー崩しによる負傷を受けてからは成績が低迷。2011年に鳴り物入り東北楽天ゴールデンイーグルスに入団し日本復帰を果たしますが、2011年は77試合で打率.183、2012年は26試合で打率.209と期待を大きく裏切る成績に終始し2年で戦力外通告。2013年には古巣東京ヤクルトに復帰しますが、こちらもわずか2年で戦力外通告を受けてしまいます。

そんな岩村が最後に流れ着いたのが、独立リーグの福島ホープス。福島では前述の通り、創立から選手兼任監督としてチームを毎年上位に導く実績を残していました。

 

 

 

岩村に関してちょろっとネットで聞いたのは、2014年に東京ヤクルトから戦力外通告を受けた時に「素行不良」を噂されていたこと。今思い返せば、それらはソースのない話が多かったと思います。

 

それでもきっとそれが噂だろうと思うのは、渡米前の2006年以前のスワローズ時代に「背番号1」を受け継いだ池山隆寛から薫陶を受けたこと。

西鉄ライオンズ中西太を師匠と仰ぎ、中西の座右の銘でもある「何苦楚」を自分の中にも取り込んでいたこと。

そしてなによりレイズ時代、「彼の存在、プレー、人間性、そのすべてが、ある意味、レイズの『心臓』となっている」と評され、彼のソフトモヒカンがチーム内で流行していたこと。

 

福島時代のこれまでの3年間を合わせて考えてみても、岩村は恐らく、「カリスマ」性のある人物だったのではないか。

 

もし岩村が、ネットで噂されていたような素行不良があったのだとしたら、理由は考えられなくもないとは個人的に思います。

それは、スワローズ関連の書籍を多数執筆されている長谷川晶一さんの著書のひとつ、「いつも、気づけば神宮に」の中にも記述があります。

2013年のスワローズ復帰時、岩村は「厳しいと思いながらも『1』をまたつけられるのではないか」と思ったものの、球団幹部からは「初心に戻って『48』で頑張ってくれ」と言われたとのこと。この時、岩村は「48」を渡されたことを「高校を卒業してプロ入りしたときの自分と、いろいろ経験して紆余曲折があった自分と、わけが違う」、「気持ちとしては、『この席空いてるから、ここに座れよ』って言われたような気がして、腹が立っていました」と振り返っています。

その話があったなら、復帰後の在籍2年間で主に代打としてまずまずの成績を残しながら、出場機会には恵まれなかったという点も併せて考えれば「腐ってしまう」のも分からなくはない。

 

結果として復帰したスワローズも2年で退団したのは上記の通り。

それでも、その後は福島で立ち直った。その時点で、かつて影を潜めていたかも知れなかったけども、かつてレイズをワールドシリーズに導いた「カリスマ」が戻ってきたのではないか、と個人的には思うのです。

 

 

 

岩村は来年以降も、専任監督として福島ホープスに残留し指揮を執ります。

ちなみに福島は、2015年6月に入団し9月に巨人へ育成選手として移籍したカルロス・ペレス(現信濃グランセローズ)以外で、福島からNPBドラフト指名を受けた選手はいません。

 

岩村に一ファンとして期待したいのは、まずは福島からNPBドラフト指名を受ける選手を育て上げること。

そして出来れば、岩村の地元である同じ独立リーグ愛媛マンダリンパイレーツか。かつて「ミスタースワローズ」と呼ばれた古巣東京ヤクルトに指導者として戻ってきてくれたら、とは思います。

 

そして、一ファンとしてもうひとつ。

「今までお疲れ様でした。指導者としても『一流』になって、いつまでも『同郷のヒーロー』として誇りであり続けてください!」