東海ちなヤクの巣@パワプロと大相撲番付予想

スポナビブログから引越し。スポナビブログ時代は、プロ野球(東京ヤクルト)を中心に、大相撲の話もちょろっとしてました。はてなブログでは、パワプロと大相撲(番付予想)を中心に展開していきます。

とある戦国武将に倣う、今年の東京ヤクルトへの心得。(あくまで個人的な話)

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2018年初のブログ更新でございます。
いきなり雑コラから入るのもどうかと我ながら思うけどな……。

ブログに関してちょっと話すなら、はてなブログのアカウントを取得したのはスポナビブログのサービス停止を受けたものだったので、割と動機自体は薄かったんですよね。
これまでAmebaブログ、ニコニコブロマガと続いて3年くらいで更新が止まってるのが不安ではあるんですが、逆にここでは更新を気張らずにやっていくつもりではあるのでともかく無理せず行こうと思います。今年からがはてなブログは本番だと思うので、よろしくお願いします。

 


で、本題。
上述の通り、ここはもともとスポナビブログで書いていた記事を移植して継続する形で更新しているんですが、そこで主に書いていたのはプロ野球東京ヤクルトスワローズのこと。
…………まぁ、昨年東京ヤクルトが惨憺たる成績を残してしまったことは、たぶんご存知の通りだと思います。雑コラにもありますが、球団ワーストの96敗です。96敗。
それだけ黒星を重ねてしまった要因はちょろっと分析した気もしますが、これもたぶん他のブログでも散々取り上げられていると思いますのでここでは省きます。
で、これから春季キャンプ、オープン戦を迎える中で順位予想も出てくるとは思います。が、筆者の順位予想はまあオープン戦終了後くらいにやる予定なので今回はこれも割愛。

じゃあ何を語るかと言うと、それはタイトルの通り。
筆者は歴史(日本史)好きなので、それを交えたお話をします。



みなさんは、「小田氏治」という戦国武将をご存知でしょうか。ご存知ない方はWikipediaを先にちょろっと見ていただければと思います。

こちらでも簡単に説明すると、小田氏治は戦国時代から安土桃山時代にかけて常陸国(現在の茨城県の大部分)の小田城(茨城県つくば市)を本拠地としていた戦国大名
戦国大名とは言え氏治のころの小田氏は勢力としては弱く、同じ常陸の佐竹氏、近隣の下総国(千葉県北部)に勢力を張っていた結城氏や、越後国(新潟県)の上杉氏、関東の大部分を掌握していた小田原北条氏などに囲まれていて、氏治はその生涯において数多くの戦役を経験しています。

が。
この小田氏治と言う人、戦にはてんで弱かった。
Wikipediaの「戦歴」の項から参照しますが、本拠地の小田城を敵方の勢力に奪われること6回。全体でも19勝22敗、勝率.463と、戦国大名としてはかなり低い数字に終始してしまっています。
この数字を額面通り見てしまうと「なんだ、大したことねえな」と思われる方もいらっしゃるでしょう。実際、最終的には氏治の代で戦国大名としての常陸小田氏は滅亡してしまっているので、低評価も致し方なしとは言えるんです。

しかし、よくよく考えてみてください。
先ほど「小田城を敵方の勢力に奪われること6回」と述べましたが、これはつまり逆に言うと最低でも5回は小田城を奪い返している、と言う話になるんです。
ついでに言うと、戦国時代は1回の負けが死に直結する厳しい時代。有名な例で言えば、「東海一の弓取り」と称されて駿河(静岡県中部)・遠江(静岡県西部)・三河(愛知県東部)の3か国を領有していた今川義元は、桶狭間の戦い織田信長の奇襲を受けて戦死。これを契機に今川氏は衰退の一途をたどり、ついには滅亡の憂き目に遭っています。


それだけに、小田氏治のようにあれだけ負け続けられるというのもある種「勲章」だと言えるわけですね。
普通、敗戦を重ね続けると家臣や領民からの信頼を失うものなんですが、これだけ敗戦を重ねても何回も何回も闘い続けられるのは、端的に言えばたぶん小田氏治は「いい人」だったんでしょう。例えば菅谷政貞・範政父子のような優秀な家臣がいたと言うこともあるんですが、それだけの優秀な家臣に見捨てられずに戦い続けられたのも(の割には、部下の話はあまり聞かなかったらしいが……)、または領民からも見捨てられなかったことも、恐らく氏治には何らかの魅力があったんだと思います。実際詳しく見てみると、魅力はあったかもしれないが、控えめに言って間抜けなんだけどね……。

その話をちょっと広げるなら、氏治には庶長子に小田友治と言う武将がいて、その友治は一時期佐竹氏の人質となっていました。氏治はその生涯で何回も佐竹氏と戦を交えているのですが、人質を出した先の家と戦を交えてしまうと普通は殺されてしまいます。
しかし結局友治は殺されず、江戸時代まで生き抜きました。あくまで推測ですが、氏治の人柄は敵方にも知れ渡っていたとも言えるのではないでしょうか。もしくは、氏治があまりにも弱くてどうしようもないからほっとかれていたのかも知れないけれども……。



それらを踏まえて、東京ヤクルトに話を戻します。

確かに昨季の東京ヤクルトも球団ワーストの96敗を喫した通り、試合をやってもやっても負け続け、連勝すら滅多に出来なかったのは、どうしようもないというか、しょうもないというか。
それでも観客動員だけで言えば、実は昨季が歴代でも一番多かったんですよね。もちろんホームの神宮球場は結構ビジターファンが入ることが多くて、それら「ビジターファンのおかげじゃないの?」と言われることも多々ありますが、まあ否定はしません。しませんが、あまりビジターファンが入らないカードの時はきっちりと東京ヤクルトのファンで埋めることは出来ているんです。だから「ビジターファンのおかげ」説は半分正解で半分間違い。
正直な話、96敗もしたチームでもある程度スタンドが埋まるくらいには、捨てたもんじゃない。少なくとも筆者の場合は、2003年以来もう15年応援しているから「惚れた弱み」です。時々「惰性」にもなりますが、それでも熱をもって応援することが出来るんだから幸せですよ。

その点で言えば、チームが小田氏治、ファンがその小田氏の領民と言う、あまり例えとしては名誉なことではないでしょうがこういう言い方は出来るなぁ、とちょっと思いまして。
確かに去年はどうしようもないくらい弱かった。でもファンは大きく離れなかった。ずっと寄り添い続けた。
とは言え去年ダメだったものは変わらないとずっとダメなままなので、そこは球団としてはいろいろ考えて行かなきゃいけない。その「変わる」という意識に関しては今年劇的に、とは思いませんが、もし今年その意識の変化が上手くいかなかったとしても、恐らくファンはずっと「東京ヤクルトスワローズ」という(少なくとも去年は)どうしようもなかったチームを支え続けることでしょう。ある種バカの一つ覚えのように。

諦めが悪いと言えばその通り、ただ諦めなければいずれ大願は成就する。
愚直でいいんです。
地道でいいんです。
明けない夜はないし、止まない雨はないんです。

その夜が明けるのが、雨がいつ止むのかは神のみぞ知ると言ったところでしょうが。
そして夜が明けたら、雨が止んだら、その時はそれはもうバカみたいに歓喜の渦に飲み込まれればいいじゃないか、と。
まあ、あまり気負わずにね。