新谷吉孝(新谷嘉孝)
ポジション:外野手
経歴:三重高→ロッテオリオンズ(1973~1983)→横浜大洋ホエールズ(1984)
通算成績:224試合 打率.216(439-95) 6本塁打32打点 OPS.595
再現年度:1982年
再現年度成績:70試合 打率.256(211-54) 4本塁打18打点 OPS.735
今回は、1970年代から1980年代にかけて在籍した新谷吉孝を作成。
新谷は三重高時代に甲子園出場があり、1学年上には同じくプロとなる水谷慎太郎がいました。
1972年ドラフト6位でロッテに入団しますが、一軍出場は4年目の1976年になってからと二軍暮らしが長く、初めて一軍でまとまった出場機会を得たのが7年目の1979年になってから。それでも翌1980年は一軍出場なしに終わっています。
転機は1981年で、この年監督に就任した山本一義に器用さを買われてレギュラーに抜擢され、開幕スタメン出場。この年は序盤好調で徐々に調子を落とし、最終的にレギュラー奪取には至らなかったものの70試合に出場。打率.258、4本塁打とキャリアハイを記録しました。しかし翌1982年は44試合で.170と振るわず、1984年に横浜大洋へトレード移籍しますがここでは一軍出場なく同年引退となっています。
新谷に関しては、Wikipediaに「毎日夜はスナックで飲酒し、歌っていたことから『深夜の新谷』のあだ名があった」とありますが、ソースが貼られていないので真偽は不明。プレースタイルや実際の能力も調べてもあまり出て来ませんでしたので、割と謎の選手です、かくいう筆者も以前別のブログでちょっとだけ触れていたこともあったんですが、全く覚えていませんでした。
<査定あれこれ>
基礎能力→基本は選手査定ノート様に準拠しています。捕球に関しては当初Eで計画を立てていましたが、成績を査定すればFが妥当だったかも。
チャンスC→1982年の勝利打点4から。勝利打点の相場はわかりませんが、70試合で4点はまずまず多いかなと思うので。