東海ちなヤクの巣@パワプロと大相撲番付予想

スポナビブログから引越し。スポナビブログ時代は、プロ野球(東京ヤクルト)を中心に、大相撲の話もちょろっとしてました。はてなブログでは、パワプロと大相撲(番付予想)を中心に展開していきます。

【パワプロOB再現】山部太(1995年・ヤクルト)

山部太
ポジション:投手
経歴:八幡浜工業高→NTT四国→ヤクルトスワローズ東京ヤクルトスワローズ(1994~2006)
経歴(コーチ):東京ヤクルトスワローズ(2007~2010、2014~2015)
通算成績:269登板 45勝45敗2セーブ6ホールド 740.2投球回651奪三振 防御率4.40
再現年度:1995年
再現年度成績:31登板 16勝7敗0セーブ 160.0投球回144奪三振 防御率3.83

f:id:NomuraYuhki:20180624203921j:plain

f:id:NomuraYuhki:20180624204154j:plain

f:id:NomuraYuhki:20180624204209j:plain

 
今回は、1990年代後半から2000年代前半まで活躍した山部太を作成。

山部は高校時代、甲子園出場こそ逃しますが3年夏にこの年春のセンバツで優勝した宇和島東高を県大会準決勝で破るなど好投手として注目を集めます。
高校卒業時は腰の不安からプロ入りは回避し、社会人のNTT四国へ。NTT四国では同期の西山一宇とともに活躍し、1990年から4年連続で都市対抗に出場。1993年にはインターコンチネンタルカップと、アジア野球選手権大会の日本代表に選出されました。
そしてこの年、逆指名制度を行使してドラフト1位でヤクルトへ入団します。

ヤクルトではルーキーイヤーの1994年4月26日に、二軍でこの時対戦した西武・竹下潤とともに「両チーム無安打試合」を記録。山部はこの試合で勝利投手となっています。
一軍で本領を発揮したのは翌1995年。この年は開幕から先発ローテーションに定着し、前半戦だけで11勝2敗を挙げる活躍を見せてオールスターゲームに出場。後半からは中継ぎもこなしてさらに勝ち星を積み重ね、最終的には16勝7敗を記録してこの年のリーグ優勝・日本一に大きく貢献しました。
しかし1996年の後半に左肩を痛めたことで低迷が始まり、1997年からしばらくは不本意な成績に終わります。

入団時に背負っていた背番号「19」を石川雅規に譲り、「30」に変更した2001年からは、これまでの速球で押すスタイルからスローカーブで緩急をつける軟投派に転向。その成果は2003年、中継ぎに転向した年に現れ、この年は34試合に登板し2勝負けなし、防御率1.05をマークしました。
しかし2004年は25試合で防御率9.78、2005年は40試合で防御率6.43を記録するなど精彩を欠き、2006年を最後に現役を引退しています。
現役引退後は2度に渡って投手コーチを務め、「ドライチ四兄弟」村中恭兵増渕竜義由規赤川克紀らの育成に着手。現在はフロント入りし、球団職員を務めています。

<査定あれこれ>
基礎能力→基本的にはパワプロ'96開幕版をベースとしています。防御率3点台後半は今でこそ取り立てて優れた成績とは言えませんが、1995年の山部の成績でも防御率ではリーグ11位になるので、その辺りのバランスは基礎能力だけでは取れませんでした。なので細かい部分を特殊能力で調整しています。
特殊能力→「対ピンチF」は'96開幕版に「ピンチ×」がついていたので、「四球」は160イニングに対し89与四球と多いのでつけました。ただそれだけだとまず再現は出来ないので、「打たれ強さB」「ノビB」「奪三振」「調子安定」で調整しています。「勝ち運」はつけるかどうか迷いましたが、勝率は7割行っていないのと、山部がいた年は古田敦也(パワプロのOBデータでは「球界の頭脳」持ち)が主に正捕手を務めていたので、古田補正を考えればと言うことでこちらはつけませんでした。