東海ちなヤクの巣@パワプロと大相撲番付予想

スポナビブログから引越し。スポナビブログ時代は、プロ野球(東京ヤクルト)を中心に、大相撲の話もちょろっとしてました。はてなブログでは、パワプロと大相撲(番付予想)を中心に展開していきます。

【パワプロ2020】権藤博(1967年・中日)

実在選手の再現作成シリーズ、今回は権藤博です。
ただし今回紹介するのは投手版ではなく野手版。

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ご尊顔。

 
では能力です。

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権藤博
経歴:鳥栖高→ブリヂストンタイヤ→中日ドラゴンズ
通算成績(投手):210登板 82勝60敗 1136.0投球回667奪三振 防御率2.69
通算成績(野手):483試合 打率.206(1041-214) 18本塁打85打点 12盗塁 OPS.553
再現年度:1967年
再現年度成績:107試合 打率.215(288-62) 5本塁打27打点 6盗塁 OPS.562

<経歴>
鳥栖高では当初内野手だったものの、投手不在のチーム事情から投手に転向。1956年夏の甲子園佐賀県大会では準決勝まで進出し、ここで西鉄ライオンズからスカウトされたがそれを断ってブリヂストンタイヤへ入社。社会人時代は1960年の都市対抗に日鉄二瀬の補強選手として出場し2試合で好投。のちに中日でプロ入りを果たした。
中日では入団後2年でエースとして65勝をマーク、エースとして活躍を見せた。しかし「権藤、権藤、雨、権藤」とも言われる酷使で活躍は長続きせず、3年目は10勝、4年目には6勝と下降線をたどる。プロ5年目の1965年からは野手に転向したが目立った成績は残せず、1968年に再度投手に戻るが1勝しか挙げられずに現役を引退した。
現役引退後は野球解説者や中日、近鉄福岡ダイエー、横浜のコーチを歴任。1998年からは横浜の監督に就任し、同年にはチームを38年ぶりのリーグ優勝・日本一に導いた。2012年に再度中日のコーチに就任、その後は侍ジャパンの投手コーチも務めた。

<査定メモ>
例によって参考にしたのは選手査定ノートさんです。
バント○→1967年のセ・リーグ最多犠打。
悪球打ち→極端に四球が少ない。

作成した選手の一覧は、以下の記事で誘導しております。

nomurayuhki.hatenablog.jp