実在選手の再現作成シリーズ、今回は古賀正明です。
ご尊顔。
では能力です。
古賀正明
経歴:日本大学第三高→法政大→丸善石油→太平洋クラブライオンズ、クラウンライターライオンズ→ロッテオリオンズ→読売ジャイアンツ→横浜大洋ホエールズ
通算成績:211登板 38勝54敗8S 794.1投球回456奪三振 防御率4.59
再現年度:1976年
再現年度成績:33登板 11勝13敗1S 1891.投球回98奪三振 防御率3.09
<経歴>
日大三高では2年時にエースとして都大会決勝まで進出したが、甲子園出場はならず。同期に元阪急の畑野実、元横浜大洋の柴田民男がいる。法政大では同期に元日本ハムの横山晴久、1学年下に池田信夫がいたこともあり2イニングの登板のみに留まった。
丸善石油に入社後は都市対抗に3年連続で出場。1974年には阪神からドラフト1位指名を受けるが拒否し、翌1975年に太平洋クラブライオンズからドラフト1位指名を受けてプロ入りした。
ルーキーイヤーに先発ローテーションの一角を担って11勝13敗1セーブの成績を残したが、この年に肘を故障して以降は成績が低迷。1979年に山崎裕之・成重春生との交換トレードで倉持明とともにロッテへ移籍。翌1980年には庄司智久・田村勲・小俣進との交換トレードで小川清一とともに巨人へ移籍。さらに1981年には松原誠との交換トレードで横浜大洋へ移籍と、3年連続でトレードを経験している。
1983年に野村収に次いで史上2人目となる全球団勝利を達成し、翌1984年に現役を引退。引退後はKBOのロッテ・ジャイアンツ、サムスン・ライオンズで投手コーチを務め、退任後はスポーツ用品店を経営。富士大学硬式野球部の外部コーチも務めている。
<査定メモ>
査定の基本はこちらを参考にしています。
一発:189.1投球回で23被本塁打。キャリアを通じても多め。
負け運:基本的に敗戦が2桁+負け越し先行の場合はつけてもいいと思います。
作成した選手の一覧は、以下の記事で誘導しております。