東海ちなヤクの巣@パワプロと大相撲番付予想

スポナビブログから引越し。スポナビブログ時代は、プロ野球(東京ヤクルト)を中心に、大相撲の話もちょろっとしてました。はてなブログでは、パワプロと大相撲(番付予想)を中心に展開していきます。

【パワプロ2020】東条文博(1970年・ヤクルト)

実在選手の再現作成シリーズ、今回は東条文博です。

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ご尊顔。

 
では能力です。

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東条文博
経歴:鹿児島実業高→南海ホークスサンケイアトムズアトムズヤクルトアトムズヤクルトスワローズロッテオリオンズ
通算成績:983試合 打率.237(2628-624) 10本塁打138打点 108盗塁 OPS.590
再現年度:1970年
再現年度成績:130試合 打率.249(473-118) 2本塁打23打点 28盗塁 OPS.609

<経歴>
鹿児島実業高時代は1961年の夏の甲子園に出場、これが鹿児島実業高の初の甲子園出場だった。
1963年に南海ホークスへ入団するがここでは出場機会に恵まれず、1966年に無徒史朗とともにサンケイアトムズへ移籍。サンケイ移籍1年目の1966年には91試合に出場、一軍定着のきっかけをつかむ。その後は出場機会が漸減するも、1969年に西園寺昭夫の故障を受けて遊撃手のレギュラーポジションを勝ち取る。翌1970年にはその遊撃手のレギュラーとして全130試合にフル出場、盗塁王を獲得した。
1973年まではレギュラーの座を守るが、1974年にはレギュラーの座を明け渡し、1975年にロッテオリオンズへ移籍。ここでは68試合の出場に留まり、オフに現役を引退した。

<査定メモ>
東条も前々回の青木実と同じく、選手査定ノートさん東高校のパワプロ日記さんとの折衷で能力を決めています。
サヨナラ男Wikipediaに記述あり。出典があるので信用していいでしょう。

作成した選手の一覧は、以下の記事で誘導しております。

nomurayuhki.hatenablog.jp