佐野重樹(佐野慈紀)
ポジション:投手
経歴:松山商業高→近畿大工学部→近鉄バファローズ、大阪近鉄バファローズ(1991~1999)→中日ドラゴンズ(2000)→エルマイラ・パイオニアーズ(2001~2002)→オリックス・ブルーウェーブ(2003)
通算成績:353登板 41勝31敗27セーブ 648.1投球回414奪三振 防御率3.80
再現年度:1996年
再現年度成績:57登板 5勝3敗7セーブ 97.2投球回75奪三振 防御率2.95
今回は、かつて近鉄でプレーした佐野重樹を作成。
松山商高時代は、後に近鉄でチームメイトとなる水口栄二らとともに1986年夏の甲子園準優勝に貢献。近畿大に進学後はエースとして、リーグ10連覇にも貢献。
そんなアマチュアの実績を引っ提げて近鉄にプロ入りすると、ルーキーイヤーの1991年に中継ぎとしていきなり6勝をマーク。1995年には2ケタ勝利、1996年には中継ぎ投手として初となる年俸1億円をマークするなど、パ・リーグを代表するリリーバーになりました。
しかし1997年にトミー・ジョン手術を受けて以降は低迷し、2000年へ中日へ移籍。2001年から2年間はアメリカ独立リーグでプレーし、最後は2003年のオリックス・ブルーウェーブで現役を引退しました。
と、実績を挙げればただの(こう言う言い方は語弊しかないが……)優秀な中継ぎ投手ですが、佐野と言えばそのあだ名は「ハゲ魔神」。球界きっての芸達者で明るい性格は「お笑い芸人としても十分生活できる」と言われるほどで、自身のハゲ頭をネタにしたエピソードは数知れず。正直ここで紹介すると長ったらしくなるので、是非各々調べていただければと思います……(笑)
ただ改めて、選手として実績を残したからこそハゲをネタにこれだけ有名な選手になったと言うこと……特に年俸1億円だとかの選手としての実績……は心に留めていただければと思います。
<査定あれこれ>
基礎能力→佐野が活躍した時代はパワプロの黎明期にあたり、その当時に発売されたデフォルトの能力を参考にしています。
回またぎ○→恐らく20世紀のリリーバー、特にセットアッパー・抑えには割と必須な特殊能力だと思います。当時はリリーフでも回跨ぎが当たり前で、1996年の佐野も例外ではなく57登板に対し97.2イニングを計上しています。
緩急○→佐野が決して速球派ではない分の補正。
人気者→言わずもがな。