東海ちなヤクの巣@パワプロと大相撲番付予想

スポナビブログから引越し。スポナビブログ時代は、プロ野球(東京ヤクルト)を中心に、大相撲の話もちょろっとしてました。はてなブログでは、パワプロと大相撲(番付予想)を中心に展開していきます。

【パワプロ2020】藤沢公也(1979年・中日)

実在選手の再現作成シリーズ、今回は藤沢公也です。

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ご尊顔。

 
では能力です。

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藤沢公也
経歴:八幡浜高→日本鉱業佐賀関→中日ドラゴンズ
通算成績:163登板 27勝35敗1S 532.0投球回316奪三振 防御率4.23
再現年度:1979年
再現年度成績:33登板 13勝5敗0S 185.1投球回129奪三振 防御率2.82

<経歴>
八幡浜高ではエースとして活躍し、2年秋には秋季四国大会に進出、3年夏の甲子園県予選では準決勝まで進出するが、甲子園出場はなし。1969年ドラフトでロッテオリオンズから3位指名を受けるが、指名を拒否し社会人野球の日本鉱業佐賀関へ入団する。
社会人野球では1975年から、補強選手としての出場も含め4年連続で都市対抗野球に出場。その間、1971年にヤクルトアトムズから11位指名、1973年に近鉄バファローズから4位指名、1976年に日本ハムファイターズから2位指名を受けるがいずれも拒否。1977年ドラフト1位で中日に指名されてようやくプロ入りを果たし、ドラフト5回指名と4回入団拒否はいずれも日本プロ野球史上最多の記録となっている。
社会人野球では本格派として鳴らしていたが、プロ入り後はパームボールをマスターし軟投派として活躍。特にルーキーイヤーは13勝を挙げ、最高勝率のタイトルと新人王を獲得した。しかし2年目以降は目立った成績を残せず、1984年限りで現役を引退した。

<査定メモ>
査定は例によって東高校のパワプロ日記さんを参考にしています。プレイ時に経験点が足りなかったので、もうちょっと野手能力は上げたかった。以下主な相違点。
コントロール:与四球率から計算したらこんな感じになった……と思う。うろ覚え。
変化球:チェンジアップはのちのインタビューでそう語っていることから。オリジナル球種にしなかったのはイベントが起きなかったからです。変化量5は単なるミス。
勝ち運:最高勝率要素。

作成した選手の一覧は、以下の記事で誘導しております。

nomurayuhki.hatenablog.jp