東海ちなヤクの巣@パワプロと大相撲番付予想

スポナビブログから引越し。スポナビブログ時代は、プロ野球(東京ヤクルト)を中心に、大相撲の話もちょろっとしてました。はてなブログでは、パワプロと大相撲(番付予想)を中心に展開していきます。

【パワプロ2020】児玉泰(1959年・中日)

実在選手の再現作成シリーズ、今回は児玉泰です。

f:id:NomuraYuhki:20210225174550j:plain

ご尊顔。

 
では能力です。

f:id:NomuraYuhki:20210225174640j:plain

f:id:NomuraYuhki:20210225174657j:plain

f:id:NomuraYuhki:20210225174709j:plain

f:id:NomuraYuhki:20210225174723j:plain

児玉泰(空谷泰)
経歴:松山商業高→中日ドラゴンズ近鉄バファロー
通算成績:208登板 63勝57敗 1051.2投球回741奪三振 防御率2.53
再現年度:1959年
再現年度成績:45登板 20勝11敗 256.2投球回189奪三振 防御率2.07

<経歴>
松山商業高時代は2年夏、3年夏の甲子園に出場。1学年上に佐野洋右(のち大映スターズ)、同学年には小川滋、菅野寿彦(ともにのち中日)、1学年下には千葉英二(のち中日)がおり、3年夏の甲子園大会では全国制覇を成し遂げている。
プロ入りに関しては、当時自由競争の中で児玉(当時は空谷姓を名乗っていた)自身に希望球団がなかったことから、今でいうポスティングシステムに近い入札制で入団先を決めることになった。しかしこの入札に関しては高野連に何の報告もなかったことから高野連の怒りを買い、松山商業に対して1年間の公式試合禁止処分を下した。これが「空谷事件」である。
入札の結果中日に入団する運びとなった児玉は、1年目から7勝を挙げてリーグ優勝に貢献すると、その後3度の2桁勝利をマーク。特に1959年はリーグ最多の8完封を挙げて20勝をマークするなどしている。1962年に近鉄バファローズへ移籍し、その年限りで現役を引退した。

<査定メモ>
年度こそ違えど参考にしたのは青竹竜尾~パワプロ選手館~さんの記事。そこに1959年の成績から算出した査定をいろいろ乗っけています。
中継ぎ適性・野手能力:ポイントが足らなかった。走力はEランクあっていいです。
奪三振:当時の比率だと高いほうですが、残念ながらつける余力がなく……。現在の査定基準ならまあつかないので、妥協です。

作成した選手の一覧は、以下の記事で誘導しております。

nomurayuhki.hatenablog.jp