東海ちなヤクの巣@パワプロと大相撲番付予想

スポナビブログから引越し。スポナビブログ時代は、プロ野球(東京ヤクルト)を中心に、大相撲の話もちょろっとしてました。はてなブログでは、パワプロと大相撲(番付予想)を中心に展開していきます。

夏の「マモノ」の向こうに蘇った、あの「アツい」日の記憶。 【#91 鵜久森淳志】

ふとテレビをつけると、今の時期だと高校野球が目に入ってきます。

このブログを書く前にちろっと見ていたのは3回戦の三本松(香川)vs二松学舎大付(東東京)の試合。三本松が打っては13安打5得点、投げてはエース佐藤くんが87球2失点完投で二松学舎大付に勝利した試合でした。

実家で起き抜けで、見始めたのは終盤以降でしたが、両チームともいいプレーが多く見ていて清々しくなる展開でした。

ところで、高校野球ではよく「魔物」の存在が言及されます。

甲子園という大舞台、夏であればその猛暑による選手への影響、それら複数の要素が絡み合って、なんでもないプレーでも予想外の展開を巻き起こしてしまう。平常心を奪われたが故の、普通ならありえないプレーをひっくるめて「魔物」と呼び、それがまた高校野球にとってのひとつのファクターとなってファンの心に刻まれます。

この魔物に関しては、Twitterの内輪ネタではありますが神宮でもあって、こちらは主に「魔空間」と呼ばわられることが多いです。

20072011年に在籍したアーロン・ガイエルがネット上で「魔将」と呼ばれ親しまれ、そのガイエルが予測不可能、不可思議なプレーを巻き起こしたときに「魔空間」と呼ばれたことが初出。それ以降も、何か奇想天外なプレーが起これば「魔空間」などと、そういう言い方をして驚くファンも少なからずいたりします。

その、甲子園と神宮の「魔物」に思いを馳せて、筆者が思い描いた選手がひとり。

それが、鵜久森淳志です。

愛媛県出身の筆者として、高校野球において忘れられないシーンを挙げるとすれば、それは2004年。筆者は当時小学3年生でした。

この年彗星のごとく現れたのが、春夏ともに初出場だった済美高校。エースの福井優也(現広島東洋)、バッターでは後にプロ入りを果たす高橋勇丞(元阪神)、そして鵜久森淳志を擁して、春のセンバツは初出場初優勝。夏も初出場で準優勝を飾り、「やれば出来るは 魔法の合言葉」のフレーズとともに、高校野球ファンに多大な印象を残した年でした。

もちろん当時小学生の筆者も大きな影響を受け、「将来は甲子園に……」などと強く思ったことを今でも覚えています。

それから幾年の月日が経ち、今現在鵜久森がいるのはスワローズの二軍本拠地である戸田。

鵜久森のプロ入り後の足跡をたどると、2004年ドラフト8巡目で北海道日本ハムファイターズに入団。しかし北海道日本ハムでは長距離砲として期待されながら途中モデルチェンジを模索し、在籍11年で残した成績はわずか6本塁打。2015年オフに戦力外通告を受けて、東京ヤクルトへ移籍します。

ところで、ここで筆者の感情を交えるなら。

済美時代の鵜久森の印象が強烈な故に(希少な名字を持っているというのもありますが)、やはり「おらが街のスター」たる鵜久森が、北海道日本ハムで活躍しているかどうかというのはかなり気にかかっておりました。

それを、彼の北海道日本ハム所属時代に垣間見たのが2012年7月29日、京セラドーム大阪でのオリックスvs北海道日本ハム戦。

鵜久森は前出場試合の26日vs福岡ソフトバンク戦で2打席連続本塁打を放ち、そこから27日、28日と出場のないまま大阪に移動し、そしてその29日の試合の第1打席でホームラン。日を2日跨いでの「3打席連続本塁打」の3本目を、筆者はドームのライトスタンド上段で目撃していました。ライトスタンドはホーム・オリックスのテリトリーなので大手を振って喜ぶことは出来ませんでしたが、好きな選手、「自分にとってのスター選手」のホームランを生で目撃できたのはとても嬉しかった、そういう記憶があります。

また、ゲームの「パワプロ」……特にパワプロ2011では、鵜久森が毎回自由契約になるたびに自分の操作するチームに入団させ、長距離砲として開花させる、そういうプレイングをずっとやっていたのも覚えています。筆者はスワローズファンなので必然的にスワローズへの移籍が多くなるわけですが、移籍させるたびに「いずれ現実でも、うちに来てくれたらなぁ……」とは思っていました。

だから、2015年オフに坂口智隆(当時オリックス自由契約)とともに入団が決まったと聞いた時は、正直言ってぶったまげました(笑)。

ところが、そこは「再生工場」とも言われるスワローズ。移籍1年目の鵜久森は、これまでの11年間を優に上回りキャリアハイの46試合に出場。打率.257、4本塁打19打点は自己最多(本塁打はタイ)と、苦しいチームを支える成績を残したのです。

今季も、開幕3戦目となる4月2日vs横浜DeNAベイスターズ戦で代打サヨナラ満塁弾。10日後の4月13日vs中日戦でも代打でサヨナラ打を放ち、1か月で2度のサヨナラを演出する勝負強さを見せつけました。

ただ残念ながら、今季の鵜久森はチーム全体の打線停滞に引っ張られるように、8月18日現在で45試合に出場しながら打率.209と不振。本塁打は上記のサヨナラ弾1本のみ、打点も7止まりで、7月3日に登録を抹消されて以降は二軍が主戦場になっています。

それでも、かつては甲子園でスターとして輝いていた鵜久森。今年はその後輩たちが甲子園で躍動し、現在ベスト16の一角に入っています。

その後輩たちの頑張りに刺激されるように二軍で結果を出して、再び一軍に戻ってきて、そして輝いてほしい。

ひとりの鵜久森のファンとして、そう切に願っています。